「一流」とはなにか

Posted on 6月 24, 2017 in 本社

みなさん、こんばんハロー。

さて、無事に毎週ちゃんと続けているともう一ヶ月が経過しました。時間の経過というものは本当に早いものですね、毎日を無駄にせず大切に生きたいと思います。

では、第五回のテーマを発表します。じゃじゃん!

「超一流とパンピーの違いって?なにそれ美味しいの?」です。

今回は飲食のことからぐーんと離れて(といっても全ての仕事に通じる内容なのでそんなに離れてはいません)書きたいと思います。

 

最近、趣味や仕事について考えさせられる機会が偶然にもたくさん重なったので、備忘録を兼ねてここに書き留めておきます。

 

さて、最初のきっかけがこれ。

 

「村上春樹のエルサレム賞受賞時スピーチ」です。ネットサーフィン中にこのスピーチの要約した文章を見つけ、YouTubeで拝見しました。

いやあ、さすがの一言です(ちなみにワタクシ、村上春樹のファンでもなんでもありません)

 

 

以下、引用です。

英語を和訳しているので、多少の日本語のおかしさはご了承ください。

 

 

「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」

その壁がいくら正しくて、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。

何が正しく、何が正しくないかは私以外の何者かが決めることになるでしょう。

 

それは時に時間であり、時に歴史であったり、と。

しかし、もしどのような理由であったとしても、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品には一体どんな価値を見い出せるのでしょうか?

私はそう思います。

 

さて、ここでこの「卵と壁」という暗喩が何を意味するのかを考えましょう。

 

いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。

 

爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。

これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。

 

これがこの暗喩の一つの解釈です。

 

しかし、それだけではありません。

もっと深い意味があります。

 

こう考えてください。

 

「私たちは皆、多かれ少なかれ、卵である」

 

私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。

 

わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。

そして、私たちは皆程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。

 

 

その壁の名前は「システム」です。

 

「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺すように私たちへ働きかけ始めるのです。

 

私が小説を書く目的はただ一つです。

 

個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。

 

小説を書く目的は「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、さらに傷つけられてしまうことを防ぐため、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。

 

私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことにより個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。

 

というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

 

 

 

 

以上が村上春樹さんのスピーチです。

 

おわかりになりましたでしょうか?深いですよね。

これを読んで思ったことはひとつ(本当は一つじゃないんですけど、今日はこれからのお話のためにひとつとしておきます)。

 

「村上春樹にとって小説とは何か」

 

ということです。

 

 

 

そもそもワタクシは、村上春樹は小説家だと思っております。みなさんもそうでしょう。

ただ、村上春樹はそうは思っていないんじゃないでしょうか。

 

たしかに職業は小説家かもしれません。

 

でも彼は、おそらく小説ことを「ひとつの手段」と捉えているんだと思います。

 

 

なんのための「ひとつの手段」なのか。

それがスピーチの中にもある通り、「個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てること」です。

 

 

つまりどういう事かと言えば、村上春樹の頭の中には、「小説家」などという職業よりも、遥か上にある上位概念といいましょうか、使命というものが明らかにありますよね。

 

 

かなり抽象度が高い話ですが、この推測はそんなに間違っていないと思います。

 

彼の中では「個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てること」という使命があり、「その使命を果たすために、彼が最大限にできること」という問いの中に「小説というひとつの手段」がある、という感じです。

つまり、村上春樹の考え方からすると、他のやり方でより自分の使命を果たせる手段があるならば、ただちに小説家はやめてしまうのでしょう。彼の中では「小説は手段」以外のなにものでもないという事です。

 

 

しかしこういう、使命や志に燃えている人が出す本やコンテンツには、膨大なエネルギーが込められますし、読者は無意識レベルでそれを感じ取ります。

 

村上春樹が長い間活躍し、ハルキストの様な濃いファンを作れるのも「小説を書く」ということが目的ではなく、さらに抽象度の高い使命感を持っている、そしてそれを読者が感じ取っているからだと思います。

 

これが「超一流の定義」ではないかと思います。

 

 

さてさて、では「村上春樹は小説を楽しんで書いているのでしょうか?」

おそらくこれは「いいえ」です(いつかのエッセイでもそんなことを書いていたはずです)。

 

超一流の人は「一般の人より圧倒的に苦しんでいる」という事実がありますが、村上春樹もきっと「小説を書くのが好きどころか、きっと苦しんで書いている」そんな気がするのです。

 

 

いや、厳密に言えば、最初のほう、若い頃やデビューしたての頃は大好きだったと思います。

そして今でも根底には「好き」「楽しい」という気持ちはあると思います。

でないと到底続けられませんからね。

 

 

ただ「好きだからやっています」という事とは、ステージも次元も違いすぎるということです。

 

 

「好きな事を仕事に出来たらいいよね」ということをワタクシ大学生の頃よく言ってました。

でもあれは、まだまだ低いステージしか見えてなかったのです。

低いステージをゴールだと思っていると、その上に実はもっと大きな、もっと高いステージがあることは気づかないもんです。

 

 

つまり

 

「好きな事を仕事にしたい」

 

というのは、あくまでも自分視点の話でしかなく

 

「好きな事を通して、世界にどんなインパクトを与えたいか?」

「どう世界を変えていきたいか?」

「世界をどうより良くさせていきたいか?」

 

という視点が抜け落ちてます。

(世界とか大きく書いていますが、そのレベルはもう少し小さくても良いと思います、社会、とか周囲、とか)

 

 

所詮、

 

「自我レベル」「自己満足レベル」の自己実現のお話

 

なのです。

 

 

 

たしかに、好きな事を仕事にして好きな事でプロフェッショナルに登り詰めてお金をたくさん稼いでる人はいると思います。

 

しかしその人たちのの大半は「いかに自分の年収を増やすか?」「いかに自分をすごくみせるか」というところまでしか興味を持ってませんし、そういう人は自分にばっかりエネルギーを注ぎます。

 

 

なので、成功しているとは言っても、人間性が高かったり、懐が深かったり、世界が繁栄していくような働き方をしている人はほぼいません。

 

 

だって彼らは「自分をどうやって満足させるか(自己実現)」いう段階で終わっているからです。

 

 

 

さきほども言いましたが「好きな事を通して、周囲にどんなインパクトを与えたいか?」「社会をどう変えていきたいか?」「自分に関わってくれた人を、どうよりよくさせていきたいか?」という視点が抜け落ちているのです。

 

 

だから、そういう人たちは周囲の人との循環も起こりませんし、人の役に立とうとする意識も極度に乏しいと思います。

そして、そういう働き方は長い目でみると「幸福度」も極度に低いと思います。

 

 

そういう人たちを次のステージに行かせようとは思いませんが、もしワタクシやワタクシの周りの人たちが「自己実現」のためだけに働いているというのであれば、それは教えてあげたい。

 

「今まで自分が好きでやってきた事を、いかに人のお役に立てるか?」という意識を持つことで、一つ上のステージに立てますよ、と。

 

 

 

しかし、このステージに立つと、おそらくですが徐々に苦しさも大きくなってきます。

人は自分のために好きな事をやっている時は、たいした苦しみは味わいません。

しかしこれが人のためとなると、突然に悩みや葛藤が襲いかかってきます。

 

 

例えば、

 

自分は料理が好きで、ホームパーティーで自慢の料理をふるまう。

 

 

自分の料理で、飲食店を人気店にする。

 

 

 

だと、圧倒的に後者の方が苦しいのです。

ですが、圧倒的に後者の方が成長し、最終的には本当の意味での料理人になります。

 

 

どんな仕事でも、こういった抽象度の高い使命感がともなってくると

 

伝わらない苦しさ

自分の無力感

自分の影響力のなさ

 

そういったものがどんどんとのしかかってきて、悩乱してしまいます。

 

 

それでもこれを乗り越えられるのは、それが少しでも報われた時の桁外れの充実感や幸福感。

 

これに尽きるのです。

 

 

 

今回は非常に長くなりました。ここまでしっかり読んでいただいた方には感謝します。

長くなりましたが結局言いたいことはこれ。

 

「好きの先へ突入してからが本番」

 

ということです。

 

最初はいいんです。好きだからやる。やりまくる。どんどん専門的になってくる、どんどんプロフェッショナルになる。

そしてそれがお金になる。その能力を買ってくれた会社があったり、その能力で作ったものが売れたり。まだいいです。それでどんどん稼ぎましょう。

 

そこからです。

「この能力をつかってどう社会や人のために役に立てるか、貢献できるか」

この意識を持った時に初めて、次のステージに立つことができるのです。

 

これが「超一流」になるためのスタート地点です。

 

それからは大変です。

大好きなことでも楽しくなくなることが多くなるからです。

むしろ自分の無力さを感じることのほうが圧倒的に多くなります。

 

でもそこでエネルギーを注ぐことをやめないこと。これが超一流に成長するコツかなと思います。

 

好きだから、ただその理由だけでやっている人

使命を帯び、それを果たすための手段として好きなことをやり続けている人

 

 

こめられたエネルギー量

循環力

影響力

感謝し、感謝される度合い

幸福感の大きさと苦悩の数

成長力

 

何もかものスケールが違います。

 

 

好きなことを仕事にして、それで豊かになるのは言うことないですが、その先を意識した時には、それ以上の幸福感と豊かさが自然についてやってくる、ワタクシはそう信じています。

 

 

今週はまじめに書きすぎました、すみません。

 

 

ご静聴、ありがとうございました。